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【結の仕事術 Vol.3】原動力は、好奇心


出版プロデューサーとしてさまざまな本づくりに携わってきた平田静子が、人と人、情報と情報を「結ぶ」仕事術を紐解くシリーズ連載「結の仕事術」。


今回は、1997年にその逮捕劇が日本中の注目を集めた「松山ホステス殺人事件」の犯人・福田和子本人が書いた唯一の本、『涙の谷』。


編集者である平田と、犯罪者との間に「結」はどのようにして築かれたのか。

「松山ホステス殺人事件」
犯人逮捕の瞬間


私がその臨時ニュースを目にしたのは、自宅のソファでくつろいでいるときだった。 

「福田和子、逮捕!」 

テレビ画面にはまるで雷光のようなフラッシュの中、警察やマスコミにもみくちゃにされている福田和子がいた。激しく明滅する白い光の中、その表情は見ることができない。 

「松山ホステス殺人事件」が解決した瞬間だった。 

1997年当時、強盗殺人罪の公訴時効は15年。時効が成立するわずか21日前の逮捕劇であった。そのあまりにも劇的な映像に、私はただただ、釘付けになっていた。 

時効まで1カ月を切ったあたりからだっただろうか。テレビでは盛んに福田和子のことを取り上げていた。

同僚だったホステスを殺害し、その遺体を夫と共謀して遺棄したこと。整形を繰り返して逃亡を続けたこと。その中で老舗和菓子店主の内縁の妻になり、女主人として店を切り盛りしていたこともあるという。

警察のみならず福田の手術を担当した整形外科医の情報提供に向けても報奨金を出すとして、報道は過熱する一方だった。 

そんな中で、時効まであと3週間という中での、逮捕劇。 いったい、どんな気持ちなんだろう。 

好奇心がむくむくと湧いてきた。被害者を殺害してから逮捕されるまでの5459日間、福田和子という人間はどこでどうして、そして何を考えて生きてきたのだろう。

あとほんの3週間逃げ切れば自由が手に入るというのにこうして逮捕され、マスコミにもみくちゃにされ、どんな気持ちでいるんだろう。

会いたい。会って、直接話を聞きたい。

ジャーナリスティックな使命感でもなく、犯罪を憎む正義感でもなく、ただ純粋な好奇心が私を揺さぶっていた。しかし、私がこれだけ好奇心を揺さぶられるのだから、ほかの人もきっと同じ思いを持つはず。そう確信した私は、福田和子の手記を出版したいと思った。

「松山ホステス殺人事件」の本ではなく、5000日以上に及ぶ逃亡生活を送った、福田和子の手記を。

私を導いた細く、
だが強いつながり


15年間の時効直前まで逃亡していた殺人犯に会いたい。

普通ならそんな願いは、実現不可能だと思われるかもしれない。しかし、私には「何とかなる」という思いがあった。 

それは、私が出版の仕事に入る前、テレビ局で働いていたことに関係がある。前職のフジテレビは全国各地にネット局を持っている。 

まず、フジテレビの報道のある人に連絡をした。すると、福田が事件を起こした地であり、生まれ育った地でもある松山のテレビ局、テレビ愛媛のプロデューサーに連絡してみたら、という答え。たとえ細いつながりでも、彼らの力を借りれば不可能も可能になるに違いない。 

私はそう確信していた。早速「テレビ愛媛」のプロデューサーに連絡を取り、福田につながる人がいたら紹介してもらえないかと頼んだ。すると、彼らのつてで福田がホステスをしていた頃の同僚にたどり着くことができたのだ。

しかも彼女は唯一、福田との面会が許されている友人だったのだ。

好奇心が行動を加速させる


それぞれのつながりは、細いものだったかもしれない。しかし、それでも手繰り寄せれば何かをつかめることがある。だから、試す前からあきらめることはないのだ。

やる前から「突然電話して、こんな難題を頼むなんて」「親しくもないのに」などと考えていては、何もできない。取りあえずでもダメ元でもいいから、目の前にある方法をまず試すこと。 

なぜなら、私には「福田和子のことを知りたい」という強い思いがあった。単なる好奇心だが、それを私は満たしたかった。そのためにできることはなんでもやる。

それがアクセルとなって、私は福田和子の元へと走った。 

(vol.4へつづく)

※この「結の仕事術」は、雑誌【経済界】にて2015年5月26日号から2016年4月5日号までの11ヶ月、22 回にわたって連載されたものをHPに転載しているものです。

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