【結の仕事術 Vol.4】成否の分岐点は、共感力
出版プロデューサーとしてさまざまな本づくりに携わってきた平田静子が、人と人、情報と情報を「結ぶ」仕事術を紐解くシリーズ連載「結の仕事術」。
世間を騒がせた「松山ホステス殺人事件」実行犯、福田和子。今でこそ重大事件の犯人による手記は珍しくなくなったが、福田が逮捕された1997年当時は前代未聞の企画だった。
『涙の谷 私の逃亡、十四年と十一カ月十日』はどのようにして作られたのか。
聡明な殺人犯、福田和子
松山拘置所に収監されている福田と初めて会ったのは、福田の唯一の友人に会ってから1カ月後のことだった。
拘置所の面会室に通されパイプ椅子に座ると、透明な仕切り板の向こうにドアが見える。しばらくすると、ドアが開いて福田和子が現れた。
同僚のホステスの首を絞めて殺し、逃亡を続けた殺人犯。整形を繰り返し、多くの男を渡り歩いた魔性の女。
しかし、私の第一印象は「普通のおばさん」だった。そして、「どこを整形したのだろう」と。それほどまでに、福田はどこにでもいるような中年女だった。
「私、あんたんとこの本、いっぱい読んでいるよ」
福田はそういうと、次々と海外文庫のタイトルを口にした。すさまじい記憶力だった。
「何て頭のいい人なんだろう」 福田に対する印象が変わっていく。
「こんなに頭のいい人なら、もし育った環境が違えば、全く違った人生を送って いたかもしれないのに」。そう思った。
すっぴんの彼女は昔の女学生のようにおさげの三つ編みをしていた。手配書などで見たショートカット、または妖艶なロングヘアの彼女とは別人だ。しばらくは家庭のことなど、女同士の他愛ない会話を交わした。
そして、手記の依頼をすると、福田は真剣に聞いてくれた。
15分の面会時間はあっという間に終わる。福田は席を立ち、ドアの向こうに消えた。手応えあり!そう思った瞬間、再びドアが開き、福田が顔を出した。
「まだあんたのとこで出すって決めたわけじゃないけんね」
その言葉に思わず固まっている間に、再びドアが閉ざされる。そうか、こうやって福田和子という女は人の心をつかみ、操縦して生きてきたんだ。
私と福田の交流が始まった。
「気持ち」に応えれば心が動く
福田と面会する時はいつも本を差し入れした。そして、手紙を出す時は必ず記念切手を使って投函した。
「本が読みたい」そして「色のあるものが欲しい」。それが福田の願いだったからだ。
「本と色」という願いに、福田の切迫した思いが込められているのを感じた。それは自由への渇望だったかもしれない。
私は何度も手記の依頼をした。
「手記を書いて、その印税すべて遺族にお渡しするしか、あなたにできる償いはない」
そう提案すると、ようやく福田は出版を承諾してくれた。 そうしてしばらくすると、弁護士経由でずっしりと重い小包が届いた。福田の原稿だった。
原稿は完璧なものだった。一字一句修正することなく、そのまま本にした。
こうして『涙の谷 私の逃亡、十四年と十一カ月十日』が出版された。
ちなみに、このタイトルも福田が付けたものだ。
信頼されることは、人生を引き受けること
本が出た後も私と福田のやりとりは続いていた。そんなある日、届いた手紙に胸を突かれた。
「出所したら温泉に行きましょうね。楽しみにしています」
福田にとって、私は信頼に価する人間になっていたのだ。私にとっては手記を書いてもらうために近づいた人間でしかなかったのに。
私の好奇心から始まった企画だったが、対象である福田にはそうではなかったことに、 私は衝撃を受けた。
この思いを受け止め、応えて、そしてこの人に寄り添って生きていこう。そして福田が出所したら、一緒に温泉にいこう。 そうやって腹をくくることが、彼女の信頼に応える唯一の方法だと私は思った。
しかし、彼女は獄中で亡くなった。刑務所での作業中に倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだ。 もし福田和子がまだ生きていたら、どうだろう。きっと私は彼女に本を送り続け、手紙 を出し続けていたに違いない。
四季折々の、きれいな切手を貼って。
※この「結の仕事術」は、雑誌【経済界】にて2015年5月26日号から2016年4月5日号までの11ヶ月、22 回にわたって連載されたものをHPに転載しているものです。